2つの自然観からあらたな地球観へ
先日 ブログでも書きましたが、大学時代のクラス会がありました。、そこで、たまたま 大学の同窓会に長年勤務していました友人から、20日に 卒業生で、現在M大学教授でもあるM氏が 「環境問題を考える」~環境的公正をキーワード に というテーマでの公開講座をなさっていて その最終回があることと、M氏が2年間モンゴル国に滞在し遊牧民の生活の研究をなさっていたということを聞きました。同じモンゴル国を拠点に、環境問題を考えるなど なにか ご縁を感じましたので、M氏にはぜひ、お目にかかってお話してみたいと思い、昨日 最終回の講座に参加してみました。
昨日のテーマは 渡辺正雄「近代における日本人の自然観~西洋との比較において」でした。今まで、改めて 「自然観」 について 深く考えたことがなかったのでとても興味深かったです。
皆さんは どんな自然観をお持ちでしょうか? 私は 人間は 自然の一部 といった感じでしょうか 人間と自然の共存 といったことが漠然と浮かびます。
牧歌的自然観 帝国主義的自然観
態度 自然との共存・共生 自然の支配・搾取
方法 共感的・全体論的 客観的・分析的
モデル 自然は有機体(有機体論) 自然は機械仕掛け(機械論)
世界観)
西欧における自然観の歴史は、この二つの自然観のせめぎあいの帰結とみることができよう。とはいえ、少なくとも、十七世紀における近代科学の成立以降は、機械論に支えられた帝国主義的自然観とそれを具現した物理学的な科学が時とともに勢いを増してきたことは明らかである。
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・その後、十九世紀の後半から二○世紀の中葉にかけては、電気の利用や多種多様な化学製品の開発利用に代表されるように、科学と技術の相互作用が一層強まって、帝国主義的自然観に依拠する物質文明が謳歌され、牧歌的自然観は再び地下にもぐる。
ところが、二度の世界大戦、特に第二次世界大戦における核兵器の開発に象徴される科学技術の軍事化や、一九六○年代以降噴出した公害問題や八○年代に顕在化した地球環境問題など帝国主義的自然観の弊害が様々なかたちで露呈するに至った。
このような状況の中で、牧歌的自然観は、十九世紀末以来、多くの知見を蓄えてきた生態学を基盤にして、たとえば環境保護運動やエコロジー運動という装いをとって帝国主義的自然観にあらためて挑戦を試みているのである。
このように考えると、帝国主義的自然観と牧歌的自然観という二つの自然観は、時には互いに反発しあい、また時には相い補いながら、欧米人の自然観と歴史を形成してきたと言えるのである
早瀬光司(編著)『文化と環境』大学教育出版、1998, pp.16-21より抜粋
こうしてみると、今 日本には確固たる自然観といったものがなくて、西欧の2つの自然観に簡単に翻弄され続けているような気がします。
漠然としていますが、今後は ゆるぎない 安定した人類共通の新たな 地球観 といったものが確立されていかなければならないのではないかと思えます。対立する2つの自然観ではなく 科学技術を超越した人間観 世界観を見据える地球観が・・・・そこにはどこまでも清らかな水、、空気、大地が
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