4代目の朝顔さん
孫娘の誕生と共に 休眠中の ” 虹色の夢”ですが、ちょっぴり嬉しいことがあったので 綴ることにしました
久しぶりに さわやかな そして 力強い 無言のメッセージをもらった感じです
朝顔さん 有難う
孫娘の誕生と共に 休眠中の ” 虹色の夢”ですが、ちょっぴり嬉しいことがあったので 綴ることにしました
先日 お気に入りの番組 ”サワコの朝”に ips細胞でノベール賞受賞の山中伸弥教授が出演していました。
彼のお話には いつも なにひとつ取り繕うことなく 独り占めの手柄を決して求めない 清清しい潔さと真の正直さを感じ 心が軽く どこか 気負うことなく 自分らしく頑張っていこう! って思るのです
中でも 印象深かったエピソードがありました
風さま しーこさま ぐりさま mahiruさま 温かいメッセージを本当にありがとうございました
改めて 6年ほどの間に 虹色の夢を通して たくさんの皆さまと ささやかな 心温まる繋がりができたこと 本当に嬉しく 幸せに思います
最後に ”花は咲く”を聴きながら しばし 虹色の夢 を閉じたいと思います。
今年生まれた孫娘や 未来に生きる人々の心からの笑顔が溢れる世界を願いつつ・・・
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために・・・
ブログ”虹色の夢” をスタートしたのは 2008年6月、6年近くになります そして今日までに1300あまりのブログを綴ってきました
孫娘誕生 & 同居と共に 新たに費やすべき現実的な時間が急増し 気がつけば じっくりと世の中を見つめ 熱く ”虹色の夢”を語れる時間は、しばらく お預けのようです。
それで 虹色の夢 は基本的に 休眠に入ることにいたしました。
この6年の間に なにかのご縁で 虹色の夢を 訪問くださり、コメントまでもくださったすべての皆さまに 心から感謝申し上げます。
今日の日は さようなら
また 虹色の夢を 語る日まで
私自身 しばらくは 1300あまりの”虹色の夢”の数々を それぞれの思い出のシーン、溢れる思い 願い、喜び 悲しみを重ねながら ひとつひとつ読み返してみようかなと思います
日ごとに 春真っ盛りの陽気・・・
縁あって 我が家の ささやかな敷地内を住処とした植物たちが 必死につぼみを付け 競うように 開花していきます。
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彼は非常に勉強家で 角界に入った後も モンゴルの国立法科大学通信課程で学び、昨春には「日本とモンゴルの法律の違い」をテーマに卒論を提出して卒業し警察官と弁護士になる資格も得たそうです。そして今回 日本のH大学大学院進学をチャレンジし見事合格したのです。
今から5年位前2009年の 虹色の夢に こんなことを綴っていました
モンゴル国でのNGO活動をしているおかげか、時々 モンゴル人力士の色紙をいただく機会があります。以前 朝青龍関や白鵬関などの力士の色紙をいただける機会がありました。その当時は まだ 白鵬関は横綱昇進前だったのですが、皆の間では 確実に横綱になる!といわれていて 色紙も人気がありました。そんな中、私は 安馬(あま)関の 色紙をいただきました。その当時は 私自身まったく顔も知らず 世間でもあまり知られていなかったかと思いますが、”馬” という文字が四股名についているのになんとなく”縁”を感じたのです。私の父の出身地が群馬県であったり旧姓に”馬”の文字が含まれていたり 父や兄や夫が競馬ファン(笑)であったりして、私は 迷わず 安馬関の色紙を選んだのです。
そんなわけで その後、思いがけず 安馬関が大関に昇進(と同時日馬富士 はるまふじ と改名)した時には 驚きとともに とても嬉しかったです。そして その後も”縁”というもののせいでしょうか、留学生会のパーティーにサプライズゲストとして日馬富士関が現れたときには 直接お話する機会にも恵まれ モンゴル国で 植林をしているお話まですることができました。
先日 「深イイ話」という番組で こんな話を知りました。
ボランティア活動に熱心な大関日馬富士。
今年4月日馬富士は心臓移植を待つ赤ちゃんを励ますため
横浜の病院を訪ねた。
その活動を始めるきっかけとなった
今は亡き日馬富士関の父が残した、ある深イイ教えとは…
「衣食が足りたらあとは人の為に尽くしなさい。
土俵の上でも土俵の外でもファンを喜ばせなさい。」
深いイイ話 公式サイトより
私自身 父からの教え
「エゴイスティックなこと 自己中心 利己的なことが一番醜い」
が心のどこかに深く刻みこられてきたように思えます。ですから 決して 有名人のスタンドプレーではなくて 日馬富士関にとっても きっと 胸の奥深くに刻み込まれた 重い教えなのだろうと思えます。いつの日か モンゴルの地に 一緒に木を植える日が来るかな・・なんて秘かに描いている私です・・・・
その後 彼は 横綱にまで上りつめました そして今回 本当に本当に偶然なのですが、H大学の特任教授である私の活動するNGOの代表の授業を受ける可能性が非常に高いのです
そんなわけで 少しずつ 横綱日馬富士と共に モンゴルの大地に立ち 木を植える日が近づいている・・・そんな予感がしてきます
先日 兄夫婦が 初孫娘に会い 我が家を訪ねてくれ、本当に久しぶりに われら夫婦と4人 何時間も楽しく おしゃべりすることができました。
両親の他界とともに 兄弟姉妹が相続をめぐって 遂には断絶してしまうといったことがありがちな世の中ですが、われら兄妹はそんなこともなく 以前にもまして 父母の遺してくれた思い出を糧に 人としてよりいっそう精神的に分かち合えるようになったことが 本当に幸せに思えます
兄は とても まめな人で 母が遺してくれた 莫大な手紙や写真を 時間をかけて電子化してくれました。そして 先日 その中のひとつ 母が父の三回忌に記念に編集した俳句の遺稿集「遠花火」を贈呈した方々からのお礼状をスキャンしたものをいくつか メールで送ってくれました。
生前の父との思い出を心をこめてそれぞれに綴ってくださっており、新たな父の人となりを垣間見ることができ 久しぶりにより懐かしく父を偲ぶことができました
物静かで 温厚で 温かく 人を惹きつける・・・
人々にこんな印象を残した父
歯科医だった父は 20年あまり近所の小学校の校医を務めていましたが、その当時の養護教諭の方からのお手紙のなかの一文
・・・検診のとき泣き叫ぶ心障学級の子供をやさしく 一生懸命診てくださったこととても嬉しく思いました・・・
他の人たちへの 父のなにげないやさしい一面
そして 哲学的な 若干難解?な父の俳句・・・
蜘蛛の巣に蜘蛛ひとり居て昏れなずむ
めざし目を悲しきことのために持つ
百日紅その花の間にありしこと
還暦を過ぎた今・・・もしできるなら 改めて父と語り合ってみたいな・・・いったいどんな会話ができるのかな?・・・・
これから 未知の新たな人生をスタートする 孫娘にミルクを飲ませながら、いろいろな想いが馳せます
私は 父母の揃った家庭に生まれ、それほど裕福ではないにしろ 大学にも進学させてもらえました。そして 成人 結婚するまで 両親共に健在でいてくれました・・
私の父は母親のお腹にいるときに 不運にも父親は急死・・・ですから この世では 決して顔を見ることも 声を聴くことも、抱っこしてもらうこともできませんでした。
私の30年来の友人も 乳飲み子のころ やはり お父様は他界 彼女にはまったく父親の記憶というものがないのだそうです
決して 選ぶことはできないことだからこそ、いまさらのように 私の道はいかに幸運であったかを思い知ります
孫娘には これから先どんな道が待っているのでしょう?
どんな道であろうとも
たくさんの幸せを感じとりながら
お気に入りの番組の ひとつ サワコの朝(土曜 朝7:30TBS) で 俳優の佐藤浩一さんが 心に残る1曲として ビートルズの 「 レット イット ビー」を紹介していました。
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